魚座26度
●very thin moon crescent ★とても細い三日月=新月 月(個我)、太陽(大我) 新月が太陽と月が重なる時、大我の光に消滅する個我 魚座27度 ●the hervest moon ★満月 太陽の意志を形するための個としての努力 うぅーん、ぽこっ(生まれる)うぅーん、ぽこっ 生むまえのうぅーん 魚座28度 ●満月に照らされた肥沃な庭 ★意志(父なるもの)と重力(母なるもの)どちらもなければ生まれてこれない 魚座29度 ●プリズム ★地の法則のなかで自分の色になる 魚座30度 ●巨大な石の顔 ★その役になりきれば役であることを忘れる 地の法則のなかで動き出す 魚座26度から30度のおはなし 新アンドロメダ むかしむかし、神話の時代の物語。 あるところに、それはそれは美しい一人の姫君がおりました。姫の名はアンドロメダ、地面にまで届く金色の髪、微笑むと仄かに薔薇色になる白磁の肌、微笑んでいても憂いを帯びた灰青色の瞳。17歳になる頃、アンドロメダ姫の美しさはいよいよ極まって、見る者になにやら不安な気持ちをすら与えるほどでした。いつの世も、ただならぬものは、ただならぬ運命を背負うものです。 アンドロメダ姫の母君、カシオペア王妃もまた、たいそう美しく聡明で華のある御方でした。話上手で、カシオペア妃が話し始めると誰もが注目します。ですから王妃は、国民に大変人気があり、また他国との交渉事も王妃の機知と社交性をもって円滑に運ぶ、つまり優秀な外交官だったのです。テレビやラジオなどない時代でも、カシオペア妃は大変な有名人なのでした。 そのカシオペア妃の一番の宝物が一人娘のアンドロメダ姫です。母の目から見てもアンドロメダ姫の美しさは際立っており、その澄みきった美しさに畏怖の思いを抱くほど。けれどやはり、そこに濃い影を見出すのは母も同様で、このように清らなるものは、長くは生きられないのではないかと案ぜられるのでした。アンドロメダの人生が、つつがなく平らかであるようにと、王妃は日々願わずにはいられませんでした。 アンドロメダ姫もまた、父ケフェウス王、母カシオペア王妃を深く愛していました。そして、王家の者は国に尽くす使命があるという父母の考えを心から尊敬していました。けれど、見本とすべき母カシオペアとは違い、アンドロメダ姫はとても内向的で大人しい。それを自覚している姫は、「私は決して母上のような外交手腕を発揮することは出来ないでしょう、それならば私は一体何をもって国に尽くすべきなのだろうか」と、いつも一人考えていました。 宿命の時は突然に訪れました。 姫を知る人々は、あぁやはりとどこかで感じながら、しかしいかなるお考えの下、これほどまでの試練を神は姫に与えたまうのか、人々が神に深刻な不信を抱いたのはおそらくこのときが初めてでした。 荒波の打ち寄せる海岸の岩にアンドロメダ姫が鎖でつながれています。 強い風に煽られた長い金髪が岩に張り付き、痛ましくも、いよいよ神々しい御姿。この事態を招いたのはカシオペア妃の放言 「アンドロメダ姫の美しさにかなう者は、海の神ネレウスの50人の娘のなかにすらいないでしょう」。 このことが海の大神ポセイドンに届くやいなや、王国の海岸は荒れに荒れ嵐が止むことはありませんでした。このままでは国は、ほどなく海に飲み込まれてしまう。ケフェウス王が国を救うべく神託を求めると「アンドロメダ姫を海獣の生贄に差し出せばこの災いは鎮まるであろう」。 その者が最も激しい痛みを味わうであろうところに剣を刺しえぐる、これは悪魔の所業ではないのか、神とは一体何者でありましょう。ケフェウス王、カシオペア王妃は苦悶しますが、悩むうちにも国は水に沈下していきます。国を守ることは、王家の絶対の使命なのでした。 遠くの海面が隆起し、海獣ティアマートが近づいてくるのが見えます。アンドロメダ姫はいよいよの時がきたことを悟ります。これが私の使命だったのだ、けれど、私はこの期に及び、覚悟を決めた決めたと思いながらもどこか世界を嘆き恨んでいる。あぁなぜ私だけがこのような目にあうのか、なぜ王家になどに生まれたのか、なぜ海獣に捧げられるのが他の誰でもない私なのだろうかと。あぁなんと情けない、父母への愛、国のために尽くそうと思った志は偽りであったか、私は余りにも弱い。ティアマートが近づいてくる、早鐘の鼓動、どうしても閉じられない瞳、一秒は百年よりも長い。 ザバーンと水を打つ轟音、化け鯨、海獣ティアマートが身を捩り、煙るように水飛沫を上げ海上に姿を現しました。その時、ティアマートの瞳が見えました。あ、とアンドロメダ姫は思いました。そのときに感じたもの、それは恐怖ではなかった。逆でした。ティアマートの目を見た、そのとき、それまでの恐怖が消えていったのです、まるで分厚くて硬い殻がはがれ落ちるように。 あぁ私はこの物語を知っている。幾度も繰り返される物語。もうすぐ天馬に乗った勇者ペルセウスが降りてくる。そしてティアマートと闘い、メデューサの首を突きつけティアマートを石にするのだ。そして私はペルセウスの妻となる。 この物語のなかで、私はあるときは、岩場からこの劇を見ている観客だった、そしてあるときはケフェウス王、そしてあるときには私はティアマートだった。そして今私の役はアンドロメダ、私には真にやりたいことがある、それは国のためということではなかった。 あぁペルセウスがもうそばに来ている。 「勇者ペルセウスよ!手出し無用にござる」 アンドロメダの高い声が響き渡りました。 “え!”0.00000001秒ほどでしょうか、ほんの刹那、世界が止まりました。ペルセウスもティアマートも岩場の人々も、空も海も精霊も、アンドロメダ姫以外の全ての者が、あれ?と感じたのです。皆この物語をどこかで知っているから。あ、アンドロメダ姫、台詞間違ってる、と。 「はっ」 アンドロメダ姫は、声ともつかぬ一声を発しました。すると姫の四肢を縛っていた鎖が、がしゃん、がしゃんと地面に落ちました。アンドロメダの肩先からオレンジの炎が揺らめいています、姫は内から発火していました。岩をくくる鎖をえいっと引くと地面がめりめりと割れ、切り離された岩塊にアンドロメダの炎が移ります。 「おぉぉぁぁぁぁぁあああ」 天地を震わす声波、岩塊につながる重い鎖を肩にかけたアンドロメダ、渾身の力でその鎖を引き、燃える岩塊をティアマートに投げつけました。 岩塊は巨大といっても、巨獣ティアマートにとっては遊戯用のボール程、けれど、額に当たった炎塊は体内にめり込み、ティアマートは呻き声をあげています。アンドロメダの先制攻撃、しかしその呻き声が発せられたと同時に、その大きく開かれた口、恐ろしいギザギザの牙の奥に、見る間もなくアンドロメダは飲み込まれてしまったのでした。悶えながら海に戻っていくティアマート、嵐が止み雲が割れ青空が現れました。陽光に海面が輝きます。 あぁ平和がもどったのだと、岩場から顔を覘かせ海を見つめる人々。すると、ゴォーという地鳴りが起こり、海の中央に逆向きの瀑布、巨大な水の柱が上がりました。細かい水の飛沫が人々の顔に降りかかりました。 海獣ティアマートが爆発したのです。海泥で濁った灰色の噴水は徐々にブルーに変化し、その芯にオレンジ色の柱が見えます。オレンジの柱は徐々に太くなり、二本の柱、ブルーとオレンジは互いに絡み合い上へ上へと昇っていきます。ブルーとオレンジはそれぞれその色を変化させ、ブルーはやがてグリーンに、オレンジはやがて赤に。それからグリーンは黄に、赤は紫に。次第に色と色は溶け合って消え、白い大滝になりました。 滝に大きな虹がかかります。虹とともに滝も見えなくなりました。 アンドロメダがティアマートに投げた岩は、爆発の時に七つに割れ、世界に飛び散ったそうです。 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 「ふぁー、アンドロメダ姫すごく強いね」 イエティ(※)は今日もテンチョーのお話を聞きにお店に遊びに来ています。お話が終わると同時にジローさんの散髪も完成しました。テンチョーが、ありがとうございましたーと、ジローさんを見送ると、イエティも、ありがとうございましたーと声を張り上げます。ジローさんはにこにこして2人に手を振りました。 「イエティくん、お店の外に赤と青の斜めがぐるぐる回ってるのがあるでしょ、あれはアンドロメダ姫とティアマートがね、水の柱になってお空に昇っていくときの様子を現してるんだよ」 「わぁ、そうなんだぁー。 …でもね、テンチョー、色がねーえ、赤だったら緑、青だったらオレンジじゃないと、お話と違うだす」 「ほほぅ、イエティくん、すごいねぇ、よく気がついたねー。そうかーそうだよねぇ、ちょっと現代風にアレンジしちゃったのよ」 「そっかー、はぁ…アンドロメダ姫もティアマートも消えちゃったけど、二人ともよかったね… ラブラブだね…」 イエティは涙声でひっくひっくしゃくりあげています。 「えー、ラブラブ??、そうかぁ、愛かぁ」 イエティは赤青ぐるぐるのそばに飛んでいき、ぐるぐるをじっと見つめています。 「おう、イエティくん、こんちわー、散髪に来たよ」 「あ、ゴエモンさん! テンチョー、ゴエモンさんいらっしゃいませだよー」 「はいはい、いらっしゃいませー、ゴエモンさん、こちらにどうぞ」 お客さまが来たので、イエティも、もう一度、お話籠に入ってスタンバイです。お話籠は、テンチョーがイエティのために用意してくれた、お話鑑賞用特別席です。 「ゴエモンさーん、本日もゴエモンカットでよろしいですか?それでね、今日のお話はね、アンドロメダ姫のお話、ぐるぐるの秘密、よろしいですか?ぐるぐるだよ」 ※イエティは、イスカンダルから地球にやってきた体長およそ20cm、埴輪形、全身が白い毛で覆われた宇宙生命体。時空を比較的自由に移動できるため各地に出没、テンチョーの理容店ほか、蛙石の神社、お友達のミワちゃんのお部屋等、行きつけの場所があり巡回している。拠点は湖の森、そこで仲間とともに暮らしている。 ジオセントリック(地球から見る)魚座26度から27度のときの ヘリオセントリック(太陽から見る)の流れ 乙女座26度 ●神官に仕える香炉を持つ少年 ★大いなるものに自らを捧げる 乙女座27度 ●儀式に集う高貴な貴婦人 ★神様の意志の伝達者 巫女 乙女座28度 ●力を捕らえた禿頭の男 ★教義を超えたところからピカッと稲妻落ちてくる 乙女座29度 ●知識を求める者が閃きを与える古代の書物を読んでいる ★知識の隙間から閃きを得ることができると気が付いた、それでそっちが大事だと思うようになって そのために本を読むようになった 乙女座30度 ●目の前の洋次に集中していて聞き逃した間違い電話 ★聞き逃さない間違い電話 茶室でお茶をたてつつ庭の枯れ葉が落ちる音を聞く 空気読むレベルマックス 乙女座26度から30度 太陽から地球へ 個としての努力と個を超える努力 重なっている #
by shizukushizuku
| 2013-08-20 21:20
魚座21度
●優しい中国人の召使と女の子と子羊 ★原初の原動力、愛のエナジーに従う 魚座22度 ●新しい法則が刻まれた石版を携えシナイ山から降りてくる預言者 ★愛とか呼ばれるエネルギーの法則 魚座23度 ●降霊会を催す霊を物質化する霊媒 ★△と▽の結合 聖なる結婚 魚座24度 ●大きな海に浮かぶ小さな島で暮らす人々 ★宇宙の海に浮かぶ青い星の人々 魚座25度 ●聖職の浄化 ★本気で純粋になる努力 最初の原動力と個人であることを一致させる 魚座21度から25度までのおはなし 星の王女さま ゴーン、ゴーン、すごく大きな音で目が覚めると、私は大きな時計の塔の上にいました。下のほうで大勢の人が私を見上げています。あぁいけない、地上にまでもう少しだった、立ち上がって飛び降りようとすると、「待て!早まるな!」という声がしました。振り返ると、柵につかまった男の人が必死の形相で手招きしています。私はなんだかその人が心配になって、大丈夫ですか?と近づくと、よし、よく来たと言うので、歓迎されていると思い嬉しくなりました。 その人は、私の腕をしっかり掴んで何かを着せてロープにつなごうとしました。一緒に下に降りようとしているのだとわかったけれど、ムームーとカメカメがさっきのところいるので戻らなければならない。それなのに、ダメだ!と切羽詰まった声でその人はいうのです。掴んだ腕を離してくれないので仕方なく、えいっ!と気合いでふりほどき、ムームーとカメカメを抱えて急いで飛び降りました。それっ。 着地した地面はすごく弾力があって、びょーんと私は跳ね上がりました。面白いー、ムームーもカメカメもにこにこしていたので何度かその場でびょんびょんしていたら、また捕まえられて、白いお部屋に連れて行かれ、それから何日も白い服の人といろいろお話しをしました。 随分後になって知ったのだけれど、あのとき地面に弾力があったのは、万一の時のために下に大きなスプリングを用意していてくれたからで、私は高いところから落ちると身体が壊れてしまうということをその時まだ知らなかったのです。その節は大変お世話になり本当にありがとうございました。 「お名前は?」 「コトコトです。それからこちらがムームー、こちらがカメカメです」 「どうしてあんなところにいたの?」 「大きな時計があったから」 「時計に特別な想いがあるの?」 「目印です」 「死のうとしたの?」 「いいえ、でも、はい、でも…死のうというより、生まれようとしたのです」 「どうやってあそこに登ったの?」 「登ったのではなくて、落ちてきたのです」 それからのおよそ三年半、私はこの白い病院で過ごしました。はじめのうちは毎日検査ということをしていましたが、そのうちに私はいろいろなことをお手伝いするようになりました。お庭のお掃除と花壇のお手入れが毎日の仕事で、じょうろでの水遣りはとても楽しいものです。だけど、いつもお花を見にくるネムさんは、お水の遣りすぎはダメと言います。ネムさんはお花にとても詳しくて、そのネムさんの車椅子の膝には、眼鏡をかけたウサギのウー先生がいます。あるとき、じょうろに朝顔の弦が巻きついてしまい、仕方なくじょうろは朝顔にしばらく譲ることにしました。ある朝に、じょうろの蕾がひらいて、それがしっとりとした深い紫色で、ネムさんも私もしばらくじっと見ていました。そうしたらお膝のウー先生が、朝顔につるべとられてもらい水、でしたなぁと言ったのでした。よくわからないけれどなんだか素敵で、この朝のことは今でもよく憶えています。 私は記憶喪失で身元不明、年齢二十歳前後、女子ということでめでたく地球人に登録され、名前はコトコトだと呼びづらいのでコトコさんということになりました。よかった、地球上陸作戦成功!だよね?ムームー、カメカメ。うん、よかったやったね、コトコト!改めコトコさん。 三年間は、地球作法を覚えるのに必死でしたが、ある日、談話室に流れていたロシアの映画で結婚式のシーンを見て、あ、そうだ、私、結婚しなくちゃ!と思いついたというか、思い出して、ムームーとカメカメに聞くとそれはいいねと言うので、やっぱりそうしようと決め、庭木の手入れにやってきた植木屋さんの一団のなかいたタイルさんに結婚を申し込んだのでした。タイルさんは、小さな惑星に水色の男の子が佇んでいるTシャツを着ていてその絵がステキだったのが決め手です。タイルさんは近づくとひなたのような匂いがしました。半年後、結婚しました。 タイルさんには夢がありました。それは、稲作農作をして暮らすことで、そうしながら理想の農法を見出したいと考えているのでした。結婚してからも私は病院に来て庭仕事やその他の雑用をしていたのですが、タイルさんが田舎に家を見つけて引っ越すことになり、病院に通えなくなりました。ネムさんとウー先生、病院のみなさん、お花たち、梅の木、桜の木、銀杏の木、玄関のギシギシいうソファ、消毒の匂い、古い白い壁、そういう全部に会えなくなるのかと思うと、胸がひゅっと冷たくなりました。それで、胸のところに空洞があることに気がつきました。それに、その空洞に響く、わわわわーっとしたものがあります。お別れの日、みなさんの空洞のわわわわと、私の空洞のわわわわが響きあうのが、パイプオルガンのようでした。誰もがこの空洞を抱えているとは、人の構造は素敵です。鐘に似ている。 私は五人の子供を産みました。アル、ミル、ネリ、リリ、メメ。男、女、男、リリとメメは双子の女の子です。 アルと私はなかなか難しい関係でした。アルは、小さいときには、私のムームーを田んぼに投げてしまったり、物心つくと、ママは馬鹿だから嫌いだと言うので、私はアルとしょっちゅう喧嘩して大泣きしました。小学校の先生が家庭訪問でいらしたときに、とても嬉しそうにアルはその先生の片手にぶら下がっていました。先生はすっきりと飾り気がなく、低く響くいい声で笑う女性です。あぁアルはこんなママが欲しいのだなと思うと悲しかった。灰色の泥水をかぶったみたいに情けない気持ちです。 じっくりお話してみると先生は、明るさの奥に大変な繊細さを秘めて、本格的にお優しい方です。そして、お顔立ちが私の最初のお友達のネムさんに似ていたせいか、すぐに打ち解けました。私たちは友達になりました。先生と私が仲良くなって、アルの私に対する態度が少し変わりました。先生は非常にすばらしい方です、ムームーの繊毛のようなとても感度のよいセンサーを持ち、カメカメのように沈黙していることができるのです。 二番目の子、ミルと私はとても仲良しで、ミルが大人になって家を出るまで私たちはずっと一緒に行動しました。田んぼのことをよく手伝ってくれました。水から生えるものは半分以上水分だからか透明できれいです。ミルは水田が育ててくれました。蛙がいるとミルはゲロゲロビョーンとするので、私もそのまねをして蛙になりました。色んなお話をしました。とても感激屋さんで、桜や雪や蛍がミルを幸せにするようでした。私と好きなものが似ているのですから気があうわけです。 三番目の子、ネリは小さいうちに死んでしまいました。縁側の揺りかごで眠っているネリのところに庭から戻ると、青い大きな蝶が揺りかごの縁にとまっていました。私が近寄ると蝶は飛び立って、森のなかに見えなくなりました。その次の日にネリは逝ってしまったのです。ネリはとても美しい子で、タイルさんもアルもミリも、ネリのおめめは不思議なお色、といって揺りかごをのぞきこんだものです。あまりにもきれいだったから、森の妖精にさらわれてしまったのか。あるいは私が妖精の子を代理で産んだということなのかもしれません。ネリは森にいます。だから私もずっと森のそばにいます。 リリとメメはいつも一緒、リリがお転婆でメメはゆっくり。ダメというのに、二人はいつもネリの森に出かけるのです。私は心配でなりませんでしたが、リリもメメもどうしても森に行ってしまう。でも無事に帰ってくる。もしかしたら、リリとメメは、今度は逆に森の妖精が私たちに授けてくれた子どもだったのかもしれません。 子どもたちが大人になって、それぞれの道に旅立ち、タイルさんが亡くなって、家はとても静かになりました。私はあともう少しここにいます。森のネリももう大人。 ムームー、カメカメ、私たち時計塔に落ちてきてよかったね。ムームーもカメカメも、ひだまりのように、にっこりしました。 ママは、本当にお空から落っこってきたのかもしれません。 ある日、ママのパパとママはどこにいるの?と聞いたら、「お空がパパで、地球がママ。ママね、ある日、お空から落っこってきたの」と言うので、パパに真偽を確かめると、ママの言うとおりだよとのこと。そんなことってあるかな、と思ったけれど、ママだったらそうかもな、なんだかママって宇宙的規模でウルトラコスモス可愛い人だったから。だから、パパはママのことがずーっとすごく好きで、ちょっとデレデレしていた。お花を摘んできてプレゼントしたりして、恋人みたいでいいなって思ってた。 だけどお兄ちゃんのアルちゃんは、ママがおばさんぽくないのが嫌だったみたい。アルちゃんの担任の先生は、しゃきっとした元気で明るい人で、アルちゃんの理想のママだったっぽい。ウチのママがふわふわの芍薬のお花だとすると、アルちゃんの先生はしゅっとした竹みたいな感じ。私は芍薬のママが自慢だったけれど、アルちゃんは竹派だった。そういえば今のアルちゃんの奥さんもどちらかというと竹っぽい。だけどね、竹派の気持ちもわかる、芍薬はすぐに散ってしまうでしょ、竹は少々のことではびくともしないうえにしなやか、強くて優しい。芍薬を見ていると、どこかでいつも失われることが気になる。ママは大きな幸せとともに胸騒ぎをもたらす、ちょっぴり罪な人、なんだぁー。 ママは私たちに「絶対に一人で森に行ってはだめ」と言っていたのだけれど、自分は時々一人で行っていたのか、森のことに詳しくて、ある夏の夜に、今日は特別と言って森に家族全員で出掛けたことがあります。「絶対に絶対に、何かを捕まえたり石やお花を持って帰ってきたりしないでね、静かにね」と何度も何度も繰り返し言っていた。ママが先頭でパパが最後尾、はぐれないように前の人の肩か腰に手をかける。一列になって進む夜の探検隊です。つとママ立ち止まり振り返りました、「ここまでしか進めない、この先に泉があるの、そっと覗いてね」木々の隙間から見えた光景に、私はあっと息を飲みました。空中を舞う光の粒子。月明かりを映す水面から、天に昇るように瞬く星たち、蛍の群れでした。千年に一度ひらく箱、新しい銀河が生まれて流れだしたようでした。 それ以降は私たちはかえって森に軽々しく近づかなくなりました。神さまの場所だとわかったのです。 ある時、ママが転落してきた宇宙人らしく、魔法を伝授してくれました。 「ミルちゃん、ママね、時間を止める方法を知っているわよ」 「え、どうするの」 「あのね、息を止めるの、そうするとその間は時間が止まっている」 やってみると、確かにそんな気がします。 「瞬間移動の技も知りたい?」 「うん」 「片目を閉じて自分の鼻の先を見るのね、それで、次は反対の目だけで見る」 「あ、そうだね、ちょっと私、移動するね!すごい!」 「時間と空間の法則」 「ママ、いつもそういうことを考えているの?」 「うん、ときどきね。空間のほうは昨日思いついたの」 ママはいつもそんな風でした。 ジオセントリック(地球目線)魚座21度から25度のときの ヘリオセントリック(太陽目線)の流れ 乙女座21度 ●少女のバスケットボールチーム ★ひたむきさ 乙女座22度 ●王家の紋章 ★金メダリスト 乙女座23度 ●ライオン使い ★現役選手から指導者へ 乙女座24度 ●メリーさんと子羊さん ★純心さで奉仕することの喜びを感じることができる 乙女座25度 ●公的な建物の前に掲げられた半旗 ★個人としての最後のこだわり、有終の美 乙女座21度から25度 太陽から地球へ 個として努力できるのは楽しい #
by shizukushizuku
| 2013-07-18 01:13
魚座16度
●しんとした書斎で霊的感覚のフローをキャッチする ★感覚の受容体としての個人に戻り、個としての活動を霊感に基づいて行う。皮膚感覚 魚座17度 ●復活祭のパレード ★身体を使って表現、生命力の爆発 ほとばしるエナジーの流れに乗ってそれを増幅させる 魚座18度 ●巨大なテントで、村人たちが壮大なパフォーマンスを目撃する ★17度のエナジーに枠組みをつける、作品化する 魚座19度 ●弟子を指導するマスター ★コンセプトと表現 魚座20度 ●夕食のために用意されたテーブル ★なにもいわなくて、いつもそこにいる先生 ◆この流れはこんな感じでもある。。。。。。。。。。。。。。。。 16度…花が、あ、あたし花だわね、と自意識をもつ 17度…うわー咲くの楽しいーあたしきれいー あらっ ちょっとちょっとー!あんたも花でしょ 咲くの楽しいねー ぴゃー 18度…あたしとあんたとあんたと組み合わせると超いかすわね! 生け花 19度…生命力ってなんだろうね 20度…呼吸かなぁ 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 魚座16度から20度のおはなし オオサンショウウオの森 絵を描くのも、最初に必要なのってやっぱり勇気なんだな…。真っ白な画用紙。そこに何かが描かれた瞬間、純白の画用紙の完璧な純潔は失われてしまう…。意を決して、茶の色鉛筆で、ぐるーんと曲線を描いてみたけれど、気に入らなくてすぐに消した。薄く線跡が残り、こすったせいで少し毛羽立った画用紙は、真っ白なときよりは恐くない。 何年ぶりかで、真剣に画用紙に向かっているのは理由があって、あのとき遭遇したアレが、一体何だったのかを、私は確かめようとしている。線を描きながら、その形を探っていく。もう少し丸い感じで…目の位置がこの辺りかな…。ネットで探した限りでは、そのアレは、オオサンショウウオに一番似ていた。ただし、オオサンショウウオにしては、ずいぶん大きかった。ものすごく大きな、でかでかオオサンショウウオだったのか…。 私が出会ったオオサンショウウオらしきそれは、頭部の高さが1メートルくらいはあった…ように思う。ということは、全長は2メートル以上はあるだろう。小さめの恐竜といえなくもない。低木の葉叢から、にょっと顔をのぞかせた。横顔だった。そしてすぐに消えてしまった。 オオサンショウウオなのかどうかは謎だけれど、私はそれを心のなかでオオサンショウウオさんと呼ぶことにした。何となく好きな響きで気に入ったから。けれど、本物の通常のオオサンショウウオと違うのが、その大きさと、もうひとつ、その色だった。私が見たオオサンショウウオさんは金色だった。艶のない白っぽい金色に茶色っぽい斑点が全身を覆っていた。全身といっても、見えたのは葉叢から出ていた頭部だけだけれど。 金地に茶の斑点というのは、田舎の家で見た朽ちかけた金屏風のようで、贅沢に施された金箔が、蔵にとても長い間しまわれていたために腐食したのに似ていた。金地に浮き出た細かい赤茶色の腐食と周辺の緑青は、絵を壊してはいるけれど引き換えに、経てきた時間の重みをまとって、恐ろしげな美しさがあった。そういえば、その屏風は、痛みのひどい他の掛け軸と一緒に、あのとき庭で叔父が燃やしたのだった。パチパチと音をたてる大きな炎に、剥がれた金箔がちらちらと舞い上がった。燃え尽きるまで、叔父と私はずっとその炎を見ていた。 特大オオサンショウウオさんには、その古い金屏風を思わせるような風格があった、悠然として無表情。オオサンショウウオさんに出会ったのは、お寺の裏山にある散策コースの途上だった。 東京郊外にあるそのお寺は、駅から歩いて数分という場所にあるので参詣しやすい。駅前の何となく明るい雰囲気も好きで、私は折をみては訪れていた。いつも大きな香炉からお線香の煙が立ち昇っている。たっぷりの白い煙や湯気が昇っているのを見ると、いつもなぜだか気分がいい。身体の悪いところに、その煙をあてると病が治癒するといわれているけれど、たしかに煙をくぐるとなんとなく、細胞の隙間を通り抜けていく煙に、身体が洗われるような感じがする。 境内には、綿菓子とプラスチックのお面の屋台が年中出ている。ぺかぺかしたピンクやブルー、おみくじコーナーの横では名物のお菓子が売られていて、抹茶ソフトクリーム型の大きな看板が、でんと置いてある。整いすぎていない親しみやすさというか、なんとなく生活感の漂うお寺ではある。それでもやっぱり寺社特有の、ある静けさが底辺を流れてはいて、境内の全てのものにその一定のトーンが滲み渡っている。ぺかぺかピンクの綿菓子にもお面にも、抹茶ソフトにも。 その静けさをもたらしているのは、お寺を囲む豊かな木々や草花なのかもしれないなと思う。街中にあるにもかかわらず、このお寺には裏山があって、境内をどんどん奥に進んでいくと、その小高い山から降りてくる、ひんやりした精気が、だんだんと濃くなっていく。 その裏山に散策コースがある。何度も来ているにもかかわらず、これまでそのコースを歩いたことはなかった。山上にあるお寺ではないので、いつも山歩きには不向きな服装で来ていたし、スタート地点の階段がかなり急勾配なうえ手入れが行き届いているとはいいがたく、足場がかなり悪そうだった。私はよく転ぶほうなのだ。 なぜその日は、そんな急階段を登ってみようと思ったのか、気分の理由を説明するのは難しいけれど、木々の緑が清々しくて、胸いっぱいに山の新鮮な空気を吸い込みたくなったから、なのかもしれない。それに、山歩きには頼りないながら、一応スニーカーを履いてきていた。 最初の急な階段を登りきると、しばらくなだらかな山道が続いた。それから、また急階段、足場は悪く、滑って落ちたら骨折でもしかねない。それは絶対に困る、一ヶ月後からダンスの公演が始まるのだから。私はダンスを創作し踊っていて、それをどうにかこうにか仕事にしている。この道が開放されているのは、今のところ大きな怪我をした人がいないからなのだよな…。私はダンサーにしては運動神経が悪い。 手すりをしっかりつかんで慎重に進む。散策コースなのに、前にも後にも歩く人はいない。平日のこんな時間に、山道を悠長に散歩する人もないか…。外側から眺めているとそれほど大きな山には見えないけれど、なかに入っていくと、森は思いのほか深い。木々に覆われ薄暗く、しんと静まっている。はじめの急階段を登ってから15分ほどなのに、山中はとても静かで階段の前の世界とは隔絶されているかのよう。プラスチックのお面のぺかぺかが懐かしい、あそこに戻りたい。山中の空気は、人の生活圏とは一線を画して冷たい。 引き返そうか迷いながらしばらく進む。ここは弘法大師ゆかりのお寺で、散策コースは、四国八十八箇所の縮小バージョンになっている。順番に現れる八十八体の弘法大師像にお参りをすると、四国を巡ったことになる。私は今、四十二番の前にいる。真ん中の少し手前。最後まで歩ききることに決めた。ふと見た足元のレモン色のスニーカーか元気をくれた。白の軽いロングスカートにレモン色のスニーカー、このファッションは、私を自由な気分にした。 ほどなく頂上にたどりついた。木々の間から街を見下ろす。遠くの山並み、富士山が見える。白い百合のような、なだらかな稜線は、柔らかでありながら凛々しく、くっきりとその輪郭を世界に引いている。究極のエレガンスだなぁ。存在するだけで、内なる美を目覚めさせる、ものいわぬ教師。 富士山も遥拝できたし、登ってきてよかった。それではあと半分、下山コース行ってみようー、と振り返ったそのときだった、オオサンショウウオさんが現れたのは。数メートル離れた前方の葉叢がゴソッと動いて、金色の大きな丸いものが顔をのぞかせた。えっ!と瞬きしたら、次の瞬間にはもういなかった。 それが、今私が頑張って描こうとしている、金の特大オオサンショウウオさんだ。皮膚を覆う茶色い水玉、艶消しの金色…。確か目は半分閉じたカピパラ風で…。頭のカーブはこんな感じ…だったかな。刻々と記憶は薄れていき、それと差し替えに、いつかどこかで見たもののイメージを借りて、私はオオサンショウウオさんを捏造してしまいそうだ。 でも考えてみれば、捏造じゃない認識なんてあり得るのかな。 ある人が、ものすごい数のペンギンが生息している島に出かけていったとき、その島に近づいていく船上で案内人に、ほら、ペンギンがすごいでしょう、といわれたけれど、どこにいるのかまったく見えなかったと話していた。ペンギンの数が、想像をはるかに超えていたために、目の前にずらりと並んだペンギンを認識できなかったのだ。いまだかつて見たことのないものの認識は難しい。その案内人がいなければ、その人は島を眺めながらも、そこにひしめくペンギンを見ることなく通過していたかもしれない。それでも、ペンギンをみることができたのは、もともと、その人の中にペンギンとか、群れとかいうデータがあったからだろう。 どんなものも既に内にあるデータの組み合わせで認識していくしかない。だから、見るもの聞くものすべて、それはそのものの近似値でしかない、つまり捏造。あらゆるものは少しズレてしか認識できないというのは真実だろう。でも、それならば、まったく知らないものは、永遠に知ることはないということだ。にもかかわらず、ぎょっとするような新しい発見が起こるということは、裏を返せば本当はとても多くのことをすでに知っているのだといえる、そのとても多くのことをただ忘れているだけで。発見は発掘、出会いはいつでも再会なのだろう。 だからつまり、オオサンショウウオさん、ナイストゥーミーチューアゲイン。 私のデータのなかでは、伊藤若冲の絵画のイメージがオオサンショウウオさんに合致した。息苦しいほど鮮やかな色彩、色がその色であるぎりぎりまで発色して、そのエッジが金属的なまでに輝いている。忘れていた若冲、奇想の画家と呼ばれるのは、この世のトーンではない何かがそこに描かれているからだろう。オオサンショウウオさんは若冲絵画に似たもの放っていた。目の前にある色鉛筆画に目を落とす。むむぅ…。わたくしのへっぴり画ではオオサンショウウオさんは到底表現できないーーっと、頭を掻き毟ってみたら、芸術的なヘアスタイルになった。鏡に映る激しい髪形の自分を見て思い出した。そういえば私はダンサーだった。それならば、オオサンショウウオさんは絵ではなく踊りで表現してみるほうがいい。ぽん(鼓)。 オオサンショウウオさんになって踊る、というか動いてみた、とてもスローに。私の踊りは超スローな動きがいつでも多い。しばらく動いているうちに、オオサンショウウオさん以上に、オオサンショウウオさんを取り巻く森に意識が向かった。葉を揺らす風、草木や花や土の香り、朝露に湿る森の香は精神を洗い、木漏れ日に目覚める花々の色彩は感情を躍らせる。夕暮れに一日の終わりを告げる鐘の音が聞こえて夜が訪れる。漆黒の森は、光る目の動物たちが番をする闇という聖域。ただし、月の明るい夜は、草木も花も眠ることがなく、月光に照らされ青みを帯びる白い花、赤い花、その香りが一帯に濃く漂う。鳥たち、虫たちの眠りも浅く、池の魚がときどき小さな水音をたてる。 若冲の色彩は、赤も黒も、すべての色が金属的なまでに輝いている。それはたぶん赤と黒と空白が連なって、互いを際立たせあっているからで、私がオオサンショウウオさんの存在を鮮やかに浮かび上がらせようとするならば、それを取り巻く森全体を表現する必要があるだろう。 もしかしたら、オオサンショウウオさんは私の幻覚で、もう二度と出会えないかもしれない。けれど、森は幻覚ではない。いいえ、もしかしたら森だって幻覚なのかもしれないけれど、少なくとも明日には消えてしまう種類のものではなさそうだ。もう一度、オオサンショウウオさんの森にいってみよう。 木曜日の午前、境内は人もまばら。ベンチで二人のお年寄りが静かにおしゃべりをしている。お面と綿菓子屋の人はみあたらず、臨時で開かれるらしい植木市の商品を並べている人がひとり。常香炉にはお腹の大きな妊婦さん。大きな煙が、雲に覆われた白い空に消えていく。妊婦さんの向かい側で、私も煙をくぐらせてもらった。 散策コース入り口の急階段を上がっていく。空一面の雲が太陽の光を遮って、風景全体が少し色褪せて見える。風もなく、箱に閉じ込められたようにしんとしている。オオサンショウウオさんの森を歩く人は、今日も私以外みあたらない。一度歩いたことがあるからか、前回のような心細さはない。それでもやはり深く入るほどに、山の精気は満ちて冷たく清浄な空気がはりつめる。清らかさは、言い換えれば不浄を許さぬ厳しさなのだろう。弘法大師像にご挨拶して進む。 頂上だ。この間と同じように低木の葉叢はあるけれど、その後ろからオオサンショウウオさんが現れる気配はない。シダの葉の緑が瑞々しい。木の葉の形はいろいろで、繊細な葉脈の模様を透かしたら、葉の裏側からすーっといい香りがした。木々の枝は人の腕や脚のようで、その形をまねて木になってみる。地面に手をあてて土の温度を感じ、その匂いを吸い込んだ。それぞれの感触や温度、匂いを感じていると、だんだん森と呼吸が合ってくるようで、その波に合わせるように、身体を動かしてみる。ゆっくり流れに任せて動くのは楽しく心地いい。ここは散策コースだから、誰かが来たらどうしようと、どこかで思っていたけれど、しばらくこの波に身体を委ねて漂ってみることにした。 あ、オオサンショウウオさん。目を伏せてゆっくり身体を回転させたとき、あの時のオオサンショウウオさんが現れた。けれど目を開くともうそこにはいない。そのままゆっくりと動き続ける。木の間に真っ白で長い脚のとても大きな鳥が二羽現れた。長い尾がひらりひらりと優雅に揺れている。その鳥たちもすぐに消え、地面にカタツムリのような渦巻きの隊列。うにのようなとげのある丸いものたちが、ごそごそと一塊になって地面を動いていて、そのひとつひとつがぼんやりと内側から発光している。枝の上には耳のとても大きな、オリーヴ色のの猿たち、その脇にはゆったりと枝に横たわっているネコのような豹のような…。 植物と動物の模様で埋め尽くされた、千花模様のタペストリー。その模様のわずかな隙間を縫うようにすすんでいく。サーチライトの明滅のように、珍しい動物たちの風景がパッと現れてはパッと消える。興に乗った私が軽くジャンプすると、天を翔ける白い馬、長い角を持つユニコーンが横に現れ一緒に飛んだ。ふわりと浮き上がり風になる、私であることと風であることに矛盾がない瞬間。樹上の子猿が私の手をぐいと引く。極彩色の鳥が、空を覆うほどの赤い翼を大きく広げ、オオサンショウウオさんが低く鳴いた。 地面にたたきつけられるような強い雨。眠りを醒ます平手のように、勢いの強い雨粒が、私の頬に肩に打ちつけられる。私はスイッチが切れたように動きを止めた。強制終了の幕引きの豪雨は、オオサンショウウオさんが降らせたと、なぜかそう思う。 ジオセントリック(地球目線)魚座16度から20度のときの ヘリオセントリック(太陽目線)の流れ 乙女座16度 ●オランウータン ★むき出しの生命力、エロスに直面 ※子どものとき動物園で、やぎさんに紙をあげていたら、紙のはいったビニールごとひっぱられて超こわかったのを思い出す… ぜんぜん情緒的じゃない目と歯茎 忘れられない思い出 乙女座17度 ●火山の爆発 ★地のエネルギーの奔流 大地の精(デーバ)とお話 乙女座18度 ●ヴィジャ盤 ★噴き上げる生命力に流されず、殺さないシステムを作り、操作する 乙女座19度 ●水泳競争 ★深い無意識にのみこまれずに泳ぐ技術 乙女座20度 ●キャラバン隊が西海岸を目指して進む ★意図的に組み合わせる、デザインする コラボレーション 共振 乙女座16度から20度 太陽から地球へ 人体は毛穴だらけ、それで呼吸している 完成形はない #
by shizukushizuku
| 2013-06-16 17:37
サビアン 魚座11度~15度
魚座11度 ●光を求めて細い道を歩き続ける人々 ★ある教義や信念の体系に飛び込んで修行する 魚座12度 ●オカルトブラザーフットの神殿で、イニシーエーションを受けた新メンバーたちが調べられテストされている ★個人的巧妙心とか余計なものが残っていないか厳しくチェック 魚座13度 ●幾多の戦いで使われてきた古代の剣が博物館に展示されている ★集合的エネルギーが降下し発現する空ポイント 代表者 魚座14度 ●キツネの毛皮の大きなストールに身を包んでいる女性 ★婉曲的な表現で単純化を避ける 単純化して粗くなって間違っていくのを避ける 沈黙上品無表情おひなさま 隠れている 魚座15度 ●将校が本物の砲弾を使う仮想訓練の前に部下たちを指導している ★表に立つ人 受け取ったものを手渡す 霊統を守る 魚座11度から15度のおはなし 五月の正午、日差しが強い。木々は葉を猛々しく繁らせ、葉という葉が風に翻るたび白く光を跳ね返す。地面に落ちる影はくっきりと黒く、光と影の強いコントラストは赤道下の風景のようなのに風は涼しく、その違和感で、私は風景を強く意識する。 山寺に続く長い階段を掃いている。黒い法衣の和尚さんが勢いよく降りてきて脇を通りすぎた。定まった姿勢のこの方は、身体の奥から力が湧き上がっていてその熱は、いつでも私の内側に灯を灯す。高いところにいた鳥が啼いて飛び立つ。揺らされた枝から、ゆっくりと葉が落ちてくる。葉と葉の間に、瞬くように光っては消える空中の塵、光と影のあいだに降る金の雨。 いつも夕方に行く場所に、すべすべした木肌の背の高い木がある。白っぽい幹が緩くカーブしていて女神の彫像のように優しい風情。鈴なりに咲く小さな白い花をたくさんつけている。その木のほかには目立つもののない一面の原っぱ。だから空が広い。 薄くピンク色に染まっている夕方の空気の中を行く。原っぱの空もやっぱりピンク色で大きな刷毛で一気に塗ったように濃淡がない。奥行き感のない一面のピンクは世界を閉じる蓋みたいで息苦しい。風もなく、時間が止まってしまったのかと思う。時間が止まれば、呼吸も鼓動もない。静止した空気を押し分けるように、木のほうにゆっくり歩いていく。 木のそばに小さな女の子がいる。年は小学校に入るまえくらいだろう、歌を歌っている。知らないメロディ、言葉も聞き取れない、外国語なのかもしれない。ゆらゆらと優雅な動きで手を上げたり下げたりして踊るようなのは、周りを飛び交う蝶々と遊んでいるらしい。蝶たちは、花と女の子の周りをひらひらめぐる。動かない風景のなかで、そこにだけゆるやかな渦が起きている。 ボツ、ボツという音で始まった雨。ボツボツはすぐにザーザーに変わる。ピンクのペンキ空は無表情なまま、けれど雨にうたれた草葉は色を鮮やかにし、空気は冷えて新鮮になる。女の子は雨の中歌いつづける。木を離れ、くるくる踊る。蝶たちは雨やどりか、見えなくなった。 左手から和尚さんが現れた。そうかあの子は寺の子なのか。傘も持たずに迎えにきたのかと思ったら雨はやみ、厚い幕のようだった雲が左右に開く。沈む日のオレンジの光が地上に射しこみ、草葉の上の、幾億幾千の雫が金色に輝く。 和尚さんの横で、女の子はしゃがんで花を摘んでいる。顔を上げた女の子が私を見た。私は驚く。スクリーンを眺めるように風景を眺めていたのに、その風景から見つめ返された。 近づいてきた女の子が私に摘んだ花を差し出す。 「どうぞ」 と言った。 受け取ると、女の子は通じたのが嬉しいのかはにかむような笑顔になったけれど、すぐにくるりと振り返って和尚さんのほうにかけていった。雨水の溜まった靴がびちゃびちゃ鳴っている。 女の子に見られて、私は我に返った、拡散していた私は私の輪郭の中に戻った。女の子の目によって、私は私になった。 私は世界を見る。見なければ、世界はそこにない。反対に世界が私を見なければ、私はいない。 目は私だけれど、目だけでは私とはいえない。私は私だけど私だけでは私といえない。 目は、その目自身だけ、見ることが出来ない。矢印は自分の方にだけは向くことができない。つまり行為はもともと他者のためだけにしかなすことができない。ただもし世界が丸いなら、放たれた矢はかならず背中にかえってくるだろう。 太陽が照らすことのできないものは太陽自身だけ。 照らすことと見ることは似ている。太陽は光、光は視線。私は見る、そして見ているものに後ろから貫かれる。 ヘリオセントリックの流れ 乙女座11度 ●どうしても知りたかったことを、自分の産んだ子が教えてくれたと感じている母親 ★目標を必ず達成する、そのためにその目標をクリアにする 乙女座12度 ●結婚式のあと花婿が花嫁のヴェールをはがす ★複雑に結びついているものを分解して解明していく 乙女座13度 ●力のある政治家が政治的紛争を制圧する ★世界に明快な枠組みを与え、整理する力 乙女座14度 ●貴族的な家系図 ★歴史や権威を守るための結界 京都的 乙女座15度 ●勇敢な祖先から受け継いだ家宝である美しいレースのハンカチーフ ★京都の寺社に新しい色を塗ることはできない 乙女座11度~15度 太陽から地球へ 役割、時間割、分割して構築して機能させる 仕組みを作る #
by shizukushizuku
| 2013-05-21 02:38
魚座06度 0223 土 20:09
●正装した将校たちのパレード ★大義に身を捧げる 魚座07度 0224 日 20:01 ●波飛沫に煙る岩場に横たわる大きな十字架、そこに一条の光が差し込み瞬間その十字架が輝く ★自己を保つ安定システム崩壊させ天啓を得る 魚座08度 0225 月 19:53 ●ラッパを吹く少女 ★心を震わせるために自ら空気を揺り動かす 魚座09度 0226 火 19:46 ●集中して馬を駆る騎手 ★意識を一点に集中させる とてもスピードのある意識 至高体験 魚座10度 0227 水 19:46 ●大地を覆う雲を掻き分けて飛び続ける飛行家 ★象徴的イメージの中に生きていて地上化を拒む ◆魚座06度~10度のおはなし◆ ここは坂の多い町だ。ずいぶん久しぶりにやってきた、というか帰ってきたのだ。生まれてから十代の半ばまでをこの町で過ごした。坂のてっぺんに生家がある、その先の海が見えてくる、沈む陽を受けて、無数のさざ波が金色の光を跳ね返している。そうだ、この坂からこの風景を何度も見た。教会の屋根の十字架が見えてきた。その教会がオレの生家だ。教会の前に立っているのはユカか?後ろから照らす陽で顔が影になっている。オレを見つけたユカらしきその人が片手を大きく上げて坂道に躍り出た。金属性の何かを持っているのか、夕陽を受けて、その手に光の十字架が走った。 ユカとオレは中学の同級生だった。女の名前みたいだけど、ユカは男だ。オレはマコ、オレももちろん男、女の名前の二人の男、それで仲良くなったってわけじゃない。ユカはピアノの名手で、その演奏に痺れたオレが、うちの日曜の教会の礼拝で弾いてくれないかと頼んだ。それがきっかけで友達になった。そのうちにユカは日曜以外にも教会にピアノを弾きにくるようになった。オレはその頃からトランペットにはまっていて、ユカと何度となくセッションをした。トランペットじゃないときは、中学の授業で使う縦笛なんかも使った。お題を決めて即興で行う演奏会。春、泉、嵐、空、海、光、キリスト……。オレたちは演奏しながら色々なものになった。二人で過ごしたこの時間は、オレのこれまでの記憶の中で最も幸福に輝いている。 ある日、放課後の階段の踊り場に黒い人だかりがあって、中心にユカがうずくまっていた。ユカをいじめグループの奴らが囲んでいるのだった。駆け寄ったオレも捕らえられ、ユカとオレは床に抑えつけられ殴られた。その日からオレたちには止むことのない嫌がらせが続いた。いじめる奴らだけではなく、他の生徒たちもオレたちを避けるようになった。 絶え間なくヒリついて安らぐことのない心。 こんなときキリストならどうするのだろう、最高の人物ならどう振る舞うのか、どう戦うのか、何と戦うのか。オレはキリストを通して自分の内なる善を探した。ある時、ユカを羽交い締めにした奴が、地面に倒れているオレの顔を踏むようにユカに命令した。そうしなければ、お前の両手を踏みつけて骨を粉々に砕くと脅す。ユカはピアニストだ。ユカはオレを踏まなかった。オレの目の前でユカの両手が踏みつけられた。オレの中に赤が散った、目の前が真っ赤になる。ゆっくりとため込まれてきた憎悪の血の球が破れた。その赤い液体が全身に広がっていく。それは不思議と透明で明るい赤だ、オレの全細胞が憎しみに浸され、その瞬間からオレは復讐の為に生きることになった。内なるキリストは死んだ。 不良たちは常にグループでいて、ひとりになることは少ない。グループのリーダーがひとりになるのは月曜日、学習塾から戻る時に人通りの少ない公園を通るとわかった。オレは、夕暮れの公園を歩くそいつに後ろから近づき、膝を思いっきり蹴り、倒れたそいつの顔を殴り、人目につかない花壇の後ろに引きずっていった。 「お前を殺すよ」 オレは本気だった。 ポケットからナイフを取り出し振り上げた。そいつの怯えた顔がオレンジ色に照らされている。 「悪かった、やめてくれ、許してくれ」 殺したら少しは許せるかもしれないな、と思う。 だけど、怯えきって震えるかすれ声で許しを乞う、抵抗できない人間をお前は刺すのか。こんなときキリストならどうする?そんなことわかりきっている。だがもしここで離せば、こいつはさらに増長し陰惨な反撃を明日から繰り返すことは目に見えている。もう止められない。憎しみに染まって汚れたオレは悪魔のお前と心中するよ。 ナイフを持つ手を後ろから掴まれた。その手がオレからナイフを奪う。包帯が巻かれた手、ユカ?夕陽を背にしたその顔は見えない。その手に掴まれたナイフが陽を跳ね返す、十字の光が走った。ナイフは倒れているそいつの太ももに振り下ろされた。そしてそこから引き抜かれて、もう一度振り降ろされ、そいつの額ギリギリで止まった。眉間から細く流れる血。 次の日から、そいつは学校に来なくなった。オレとユカには静寂が訪れたが、学校はもう自分の行く場ではないとオレは感じていた。だが、オレより先に学校に来なくなったのはユカだった。教会の礼拝にも来なくなったユカを心配して、オレの父親がユカの家を訪ねた。ユカの家は父親が荒れて、生活が困難な状況になっていた。オレの父親とユカの母親は話し合って、ユカはオレの家で暮らすことなった。ユカの母親はしばらくこの街を離れて仕事をするらしかった。 学校に行かなくなったオレたちに牧師の父親が勉強を教えた。父親も母親も学校に行かないことを責めなかった。オレが、キリストならどうするかと自問したように、父母には独自の判断基準があったのだろう。オレはトランペットを相変わらず吹いていたが、ユカはピアノを止めてしまった、手の怪我が治っても弾こうとしなかった。そのことを父は心配し、ユカとよく話し込んでいた。父はユカを愛した。ユカの心の気高さを感じていたのだろう、実の親子以上の絆があるように見えた。 「マコもユカも音楽の才能があるね、音楽の学校に進んでみるのはどうだろうか」 「うん!」 オレは素直にワクワクした。 「僕は音楽はやろうと思いません、出来れば僕は…牧師になる勉強がしたいです」 「ユカはピアノが好きだろう、そして才能がある、一度専門家についてみてほしい」 父が食い下がったがユカは首を横に振った。ユカが学費のことで遠慮しているのではないかと父は感じたようだった。オレもユカにピアノをどうしても続けて欲しかったから、ユカの好きなピアニストも指導者になっている学校に一緒に行きたいのだと必死に口説いた。でもユカには強がりなんかではない決意があった。今思えば、ユカはあの時、自分が最も寄りかかっているものを手放そうとしていたのかもしれない。何者かになることを避けて透明でありつづけるため、内なるキリストを殺さぬため、復活させるためにひとり戦っていたのかもしれない。 オレは音楽関係の学校に進み、高校の途中からは海外に留学した。在学中からライブハウスで吹くようになり、それなりに稼げるようになったときに学校を辞め、ライブハウスを転々として暮らした。それから、まとまった資金が出来ると違う国に移動するという生活を15年以上続けてきた。今日、日本に帰ってくる前の2年間はトランペットはやめて砂漠の国で貿易関係の仕事をしていた。暑く渇いた砂漠の空気は、細胞の隙間に残していた生暖かい後悔や、甘いような悲しみを、その熱さで浄めてくれるような気がした。 ひと月ほど前、昔のライブ情報の中のアドレスを辿ってだろう、日本語でメールが届いた、ユカからだった。ユカは牧師をしていて、オレの父母とユカの母親とオレが生まれ育ったあの街で暮らしているということだった。一度帰ってきてほしいと書いてあった。 教会の正面でオレを待っていたユカ。ユカはいつも陽を背にしていて顔がわからないんだ。だけどちょっとおじさんになったみたいだな、当たり前だよな、オレのなかのユカは中学生で止まっているのだから。ユカが坂を降りてくる。大人になったユカが目の前にいる。なるほど牧師だね、人を安心させ自然に優しさで包む人間の空気を纏っている。 15年ぶりに会った父母に連絡もしなかった非礼を詫びた。 「だけど、マコの活躍はインターネットで見ていたよ」 父は笑い、 「思ったよりオジサンになったわ」 母はちょっと泣いた。 「マコは砂っぽいね、砂漠にでもいたの?」 ユカが聞くので、その通りだというとみんな目を丸くした。 「マコちゃんはいい男よね、私タイプだわー」 キラキラするイヤリングをしている可愛くてちょっと頼りない感じのユカの母親がそう言うので、恭しく手をとってキスした。ユカママはきゃーきゃーと喜んで、家の空気が華やいだ。ユカママはユカに似た透けるような皮膚をしている。 日曜日の礼拝でユカのピアノを聴いた。昔二人でやったセッションを思い出す。オレたちは演奏しながら、春になり、空になり、光になり、キリストになった。ユカは誰かに聴かせるためにピアノを弾かない。植物にとっての光のよう、ユカは音楽によって光合成し花を咲かせる。花は何のために咲くのか知らないが、ただただそこには喜びのようなものがある。ただ咲くためだけのように奏でられる音楽、純粋でずいぶん贅沢だ。ただひとつ花と違うところがあるとするなら、手折られることも受け入れるしかないのが花だけど、ユカの音楽は決して誰の手にも落ちることはない。礼拝の後の誰もいない教会でユカがピアノを弾いている。観客は外壁に寄りかかって海を眺めているオレだけだ。ユカは、というかユカの音楽はオレに光を注ぐ。ユカの音色に応えるようにオレの中に音楽が流れる。砂漠の熱に洗われ空っぽになった細胞に新しい水が満たされていく。 1カ月後、オレは市内のライブバーで演奏を再開した。家を出るときにユカが言った。 「僕は今もマコの音を聞きながら演奏してるよ」 演奏後、カウンターで飲んでいたら女の子にサインを求められた、名前を聞いたらユカだという。正直になろうと思って “名前はまだにゃいよん M.Y”と書いたらユカちゃんは まだにゃいよん、さん?と首を傾げて微笑んだ。 ヘリオセントリックの流れ 乙女座06度 ●メリーゴーランド ★感情を揺らして、彩りを生み出す 乙女座07度 ●ハーレム ★揺れ幅を極限まで大きくするため誘惑されるよう誘惑する 乙女座08度 ●5歳の子どもが初めてダンスのレッスンを受ける ★自らが揺れの発信源になる 乙女座09度 ●表現主義の画家が制作をしている ★キリキリにエッジの効いた表現を目指す 乙女座10度 ●影とその向こうを覗く2つの頭 ★水の表面叩くようにして自分の輪郭を浮かび上がらせようとしてきたけれど ある強度の一撃はその水を跳ね返さず、底なしの暗い水に私は落ちていった 自分の輪郭を知ろうとして自分を見失った 乙女座05度~10度 太陽から地球へ 透明なグラスのなかで揺れる水はとてもキレイ グラスに柄を刻んだら水はもっといろんな風に輝いた 柄を刻むのにグラスを深く傷つけたらガラスは割れて、水がこぼれた。私は壊れていなくなるかと思ったのに 私はまだいる。私はグラス?それとも水? #
by shizukushizuku
| 2013-04-09 03:38
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